仕事が大変な時も友達と喧嘩した時も上司にやっかまれた時も明日が怖くて眠れなくなった時も二度と戻れないあの頃を思い出して胸が苦しくなった時も、全部ストロングゼロが忘れさせてくれた。嫌な事を解決し続ける事だけが人生じゃない。忘れ続ける事も人生だ。ストロングゼロはその手伝いをしてくれる
こないだ夜ストロングゼロ買いに行く道中で酔っ払いのおっさんがぶっ倒れてたからそれなりに介抱してからスーパー行ったんだけど、俺が会計してたらそのおっさんが入ってきたからおいマジか大丈夫かと思って見守ってたら俺と全く同じ味のストロングゼロのロング缶買ってて、俺もうストロングゼロやめる
ストロングゼロは酒という嗜好品としての文化も文学も持たない酩酊のためだけに造られたアルコールであることは間違いなく、酔っ払わなきゃ向き合えない現実がある、でも金はないみたいな人から支持されてそれを救ってるって意味で福祉なんだろうな
ストロングゼロのストロングとはもちろん強いという意味だが
強い弱いというのは比較対象がなければ、何に対して強いのか分からない
この場合、ストロングゼロの強さの比較になっているのは何か
もちろん人間である。人間は弱い。ストロングゼロは強い。
俺の観測する限り「ストロングゼロがやばい」という言及に見て取れるのは、恐らくアルコールとしてのポテンシャル云々以前に、自分たちが見ないようにしていたワンカップ酒に浸る人々の境界に足を踏み入れてしまうことのどうしようもない忌避感だと思うんだよな。
ストロングゼロを飲むのは、忙しくて時間がないので酔っぱらうまでを短縮したいという理由が大きい。そのために犠牲になるのは人間性。
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